那須高原 ぶらぶら散歩の祈り
- 那須塩原教会 Nasushiobara Church
- 6 hours ago
- 4 min read
今野善郎
Please find prayers written by Pastor Konno on his walks with Joy below. Sorry they are only in Japanese!

・何事も嫌嫌からではなく、神様への感謝をもって行うならば、私たちの思い以上に豊かな恵みがあることを信じます。些事に隠された恵みに気づかされますように。
・「何事も不平や理屈を言わずに行いなさい。」(フィリピンの信徒への手紙2章14節)。重荷や試練のなかに、神様の御心を見いだすことは難しいこと。だからこそ、そこで逃げずに従順に荷を背負うのです。その中で神の御心は、次第に見えてくるからのです。
・気が合わずにぶつかってしまう人がいます。適当に折り合いをつけてゆくのが、キリストの愛を知る者の歩みであろうか。自分も相手も変えられることを信じ、祈りを持って、まず自分から心を開いていくことができますように。
・「あなたがたが神殿に供え物をささげようとし、兄弟があなたに反感を持っているのをそこで思い出したのなら、その供え物を神殿の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて供えものを献げなさい。」(マタイによる福音書5章23節)。祭壇に供え物をささげる。礼拝するときのこと。兄弟や隣人との悪い関係をそのままにして神様を礼拝してはならないということです。神様を礼拝することと隣人を愛することとを分けてはならないのです。
・多様な意見がある中で性急に一つの理念・理解に立って、他を切り捨てることがないように。忍耐と謙虚をもって対話することができますように。対立する立場が鮮明化する時、対話が硬直化する時、意見がお互いの自己主張となってしまう時。そんな時に、自分がまず神の前に砕かれ、神様の前に相対化されますように。互いに砕かれた対話が始まるまで、忍耐と愛、そして時間がかかることを、それらに耐える力を与えてください。
・「7つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれ裂き、人々に配るように

と弟子たちにお与えになった。」(マルコ8:6)。私たちの貧しさは神様の恵みと祝福を信じきれずに、惜しみなく差し出し、分かちあうことができないことです。中途半端に捧げているからかもしれません。
・平和の話をすると、「敵が攻めてきたらどうする」「家族が危険にさらされたらどうする」の問いに、うまい返答ができません。仮定の質問です。もちろん、そんな時は、できるかぎり抵抗し、必死で家族を守りますが、でも私は武器は絶対に使用しない。
・自分が行った良い働きから自由になれますように。
・重い病気の時、必ず癒してくださいと祈るストレートな思いもわかる。一歩も引けない切実さも理解できる。立ち止って、深く那須高原の空気を吸って、静かに吐く。頭を垂れて、「主よ、御心ならば」(マタイ8:2)と、一歩下がって神様の前に祈る。ゆだねることができた。

・正しさを抜きにした愛は盲愛。愛を抜きした正しさは冷たい裁き。十字架が示す縦の棒は正義、横の棒は愛。この正義と愛が交わるところに平和が生れる。
・神様の前に、自分を偽らない、ありのままを見つめる力を与えてください。特にあなたは私を究めておられます。あなたは、私よりも私を御存知です。ですから、自分でも認めたくない弱さと狡さを隠さず薄めずに認めることができますように。
・人間の歴史はmade in Got。神様は人間の弱さと罪を用いるような形で万事を益に変えてくださる。神様の全能のもとで、神様と人間は相互補完で歴史を紡いでいる。人間の愚かな戦争を新しい真の平和構築のために用いてくださいと祈る。
・何かに悩み始めると、気づかないうちに視野が狭くなる。下を向いてしまう。そんな時に、聖霊の息吹に吹かれたい。神様の広く深い森(計画)に気づかされたい。

・信仰は、不運な人か、心の弱い人が、すがるために 信じるものと、信仰を持たない人には思われている。普通に生き、ありがたき信仰をもって凡庸に生かされている私がいる。
・悪しき事をうまく遠ざける知恵をください。
Comments